トピックス
- 06/04/22
平素は、本顕彰会の運営に関し、格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、この度第28回総会につきまして下記の内容にて開催を致します。
日時:令和6年5月1日(水)
・13時~/役員会
・13時30分~/慰霊祭(法要・墓参り)
・14時30分~/総会
・15時/閉会
場所:雲海寺(小豆島町福田)
0879-84-23335
※感染拡大防止の観点から、昼食会の開催は見送らせていただきます。
ご不明点ございましたら事務局までお問い合わせ願います。田中河内介顕彰会
会長 大江 正彦 - 05/04/26
平素は、本顕彰会の運営に関し、格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、この度第27回総会につきまして下記の内容にて開催を致します。
日時:令和5年5月1日(月)
・13時~/役員会
・13時30分~/慰霊祭(法要・墓参り)
・14時30分~/総会
・15時/閉会
場所:雲海寺(小豆島町福田)
0879-84-23335
※感染拡大防止の観点から、昼食会の開催は見送らせていただきます。
ご不明点ございましたら事務局までお問い合わせ願います。田中河内介顕彰会
会長 大江 正彦 - 04/03/31
第26回 田中河内介顕彰会総会の中止について(お知らせ)
平素は、本顕彰会の運営に関し、格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、この度の第26回総会につきまして新型コロナウイルス感染症の影響により 中止する運びとなりましたのでお知らせいたします。
なお、令和3年度事業報告及び決算報告並びに令和4年度事業計画及び予算案等につきましては、 役員会において調整し、改めてご案内申し上げます。
ご不明点ございましたら事務局までお問い合わせ願います。
田中河内介顕彰会
会長 松本 篤 - 03/05/09
小豆島の歴史探訪パンフレットがダウンロードできます。
- 03/05/08 令和3年5月1日の10時~
コロナウイルスの影響にて 雲海寺の山本住職お一人にて田中河内介供養をして頂きました。
- 03/03/24
第25回 田中河内介顕彰会総会の中止について(お知らせ)
平素は、本顕彰会の運営に関し、格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、この度の第25回総会につきまして新型コロナウイルス感染症の影響により 中止する運びとなりましたのでお知らせいたします。
なお、令和2年度事業報告及び決算報告並びに令和3年度事業計画及び予算案等につきましては、 役員会において調整し、改めてご案内申し上げます。
ご不明点ございましたら事務局までお問い合わせ願います。
田中河内介顕彰会
会長 松本 篤 - 02/11/09
訃 報
会員の皆様へ
本顕彰会の顧問であります片山鹿之助様がご逝去されました。
ここに故人のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
片山鹿之助様は、顕彰会の発起人であり、田中河内介氏の偉業を内外に発信され、顕彰会活動を通じて、小豆島の人情味豊かな伝統を育まれました。
これまでのご活躍に心から感謝申し上げるとともに、築かれてきた功績を大切にし、本顕彰会活動を将来に渡って繋いでまいります。
長年のご尽力、本当に有難うございました。
田中河内介顕彰会
会長 松本 篤 - 02/05/07 令和2年5月1日の10時~コロナウイルスの影響にて
雲海寺の山本住職お一人にて田中河内介供養をして頂きました。
- 02/04/25 雲海寺にあります田中河内介墓石階段に手すりを新設しました。
- 02/04/15 第24回 田中河内介顕彰会総会の中止について(お知らせ)
平素は、本顕彰会の運営に関し、格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、この度の第24回総会につきまして新型コロナウイルス感染症の影響により 中止する運びとなりましたのでお知らせいたします。
なお、令和元年度事業報告及び決算報告並びに令和2年度事業計画及び予算案等につきましては、 役員会において調整し、改めてご案内申し上げます。
ご不明点ございましたら事務局までお問い合わせ願います。
田中河内介顕彰会 会長 松本 篤
- 19/05/08 供養と第21回総会が小豆島福田の雲海寺において開催されました。
総会後は日向光徳氏による講演:「禁教時代の小豆島 高山右近、島原の乱と小豆島の関連」を聞かせて頂きました。
- 19/05/08 観光協会主催セミナー
まるごと小豆島にて田中河内介の講演が行われました。日・日時 平成31年4月18日(木) 14時より
・会場 小豆島ふるさと村ワインハウス
・講師 片山鹿之助氏
・セミナータイトル
小豆島の歴史探訪~明治天皇を育てた田中河内介~ - 19/03/15 田中河内介顕彰会及び第23回総会開催のお知らせ。
日時:平成31年4月28日(日) 午前10時より
場所:雲海寺(小豆島町福田)
※総会後 講演会も開催します。
タイトル:禁教時代の小豆島「高山右近、島原の乱と小豆島の関連」
講師:日向 光徳 氏
- 18/05/15 田中河内介哀悼の碑 案内看板を設置しました。
福田港前、春日堂横の駐車場内の看板に設置します。
まずは鉄枠を取り付けていきます。
その鉄枠の中に案内看板を埋め込みます。
完成です!
哀悼の碑までの案内の利便性がさらに良くなりますね。 - 18/04/29 供養と第21回総会が小豆島福田の雲海寺において開催されました。
小豆島霊場第85番 雲海寺
島内外から多くのみなさんにご参加いただき、
157回忌法要が執り行われました
新会長に就任した松本会長(小豆島町長)のご挨拶総会後は川宿田 好見氏による
講演:小豆島「石の歴史」を聞かせて頂きました。
- 18/03/22 田中河内介顕彰会及び第22回総会開催のお知らせ。
日時:平成30年4月29日(日) 午前10時より
場所:雲海寺(小豆島町福田)
※総会後 講演会も開催します。
タイトル:小豆島「石の歴史」
講師:川宿田 好見 氏
- 17/04/30 供養と第21回総会が小豆島福田の雲海寺において開催されました。
島内外から多くのみなさんにご参加いただき、156回忌法要が執り行われました
総会の後、潮崎 誠さんによる講演「ふるさと但馬の河内介」があり、興味深いお話を聞かせていただきました。 - 17/04/10 田中河内介顕彰会及び第21回総会開催のお知らせ。
日時:平成29年4月30日(日) 午前10時より
※総会後 講演会も開催します。
タイトル:「ふるさと但馬の河内介」
講師:豊岡市教育委員会 参与 潮崎 誠氏
- 16/05/01 供養と第20回総会が小豆島福田の雲海寺において開催されました。
島内外から多くのみなさんにご参加いただき、155回忌法要が執り行われました
総会の後、宮原隆昌さんによる「写真で見る昭和初期の小豆島」と題した講演があり参加者のみなさんは興味深いお話を熱心に聞いておられました。 - 16/04/07 第20回 田中河内介顕彰会及び155回忌法要開催のお知らせ
日時:平成28年5月1日(日) 10時〜
場所:雲海寺
次第:
10時〜 155回忌法要 11時〜 第20回 田中河内介顕彰会総会
講演会「写真で見る昭和初期の小豆島」
講師 宮原隆昌さん田中河内介の法要も155回となり、新緑も美しい5月に執り行います。
同日に総会・講演会も行います。小豆島内外、会員・非会員などは問いません。
みなさま、お忙しいとは存じますが、是非ご参加くださいますようご案内いたします。 - 15/04/26 供養と総会が小豆島福田の雲海寺において開催されました。
154回忌法要の様子島内外から多くのみなさんに参加していただきました。
南堀英二氏の講演「頓宮先生のこと」
興味深いお話に、参加者は熱心に耳を傾けていました。 - 14/01/31 田中河内介顕彰会のサイトをアップしました。
事務局よりご挨拶
小豆島の各地には、島にはほとんど縁故のない「島外からのひと」に対する供養の例がたくさんあります。島四国八十八ヶ所霊場巡拝途中の死者を祀るものもありますが、他所の人への鎮魂を形にした碑文や墓碑類であり、慰霊祭などもあります。
私たちが顕彰している「田中河内介」も、もともとは小豆島とは無縁の人ですが、その人への鎮魂、勤皇の志士への慰霊でもあります。
明治天皇のご生誕から5歳までの傅育(ふいく)に携わり、近代日本の夜明けに大いに関与したにもかかわらず、不運非業の死を遂げたとされる田中河内介は、小豆島福田港に流れ着き、誰人ともわからぬまま、30年間、小豆島の方々の温かな供養を受けられてきたのです。河内介父子と判明してからは、顕彰慰霊と、埋もれてしまったかもしれない歴史の検証をささやかに継続してきました。
田中河内介の生地、兵庫県豊岡市においては神美公民館を中心にした顕彰活動があり、豊岡市出土文化管理センターのご支援とご協力によっての研究調査活動もあります。
また、宮崎県日向市(ひゅうがし)には田中河内介の三人の同志が細島で殺害されていた事もあって、日向史談会の活動として細島三志の慰霊を続けています。当時の明治政府要人による意図的な歴史隠匿や無視もあったと思われますが、田中河内介に関する歴史的資料は極めて少ないのです。したがって資料収集、調査研究も思うにまかせられなのが現状です。
新たな資料・研究調査などの成果があればご指導・ご教示いただきたくお願いたします。さらには、ご興味のある皆様はぜひ「田中河内介顕彰会」にご入会いただき、共に慰霊・顕彰・歴史の検証を続けていきたいと思っております。
田中河内介顕彰会 事務局
田中河内介父子関連 昔の絵葉書と鳥瞰図
戦前戦後の観光用絵葉書やパンフレットには田中河内介父子の碑についての紹介が見られた。
上の写真は小豆島百二十五景という絵葉書の一枚である。小豆島が、国立公園になってからのものである。下の鳥瞰図は小豆島自動車株式会社(島バス)が最初に作った観光パンフである。裏面は各地の説明や交通についてのせている。当時は哀悼碑で観光バスが停まり、ガイドによる説明があった。
当時のボンネットバス
古写真で見る田中河内介父子の墓・哀悼碑
大正3年発行(高松市・岡部茂太郎)の
香川県小豆島案内という冊子に掲載されている写真
上記と同じ背景であるが、山のラインがわかる。上記の冊子を元に作成しているが、写真の状態は悪い。墓周辺もだいぶ荒れているのがわかる。
昭和36年に雲海寺に移転するまでの状態です
中腹まで移転させたときの哀悼碑
田中君父子転墓ノ記
田中君父子ノ墓碑ハ福田村共葬墓所ニシテ而モ石材運搬ノ略傍ニアリ然ルニ近耒石材の盛ニナルヨリ墓表ハ常ニ塵埃ニ埋没セラル雲海寺主山本諦道僧正高木又朗三木虎太郎ノ諸氏及森遷等之ヲ患ヒ同所ニ於ニ旧墓地ヲ距ル数十尺ノ地ニ新二十坪半(三間ニ三間半)ノ区域ヲ定共葬者ノ認諾ヲ得テ大正八年一月工ヲ起コシ四月工ナル其結構在耒ノ松樹ヲ城内ニ在シ高サ三尺ニ地揚ヲナシ周囲ニ木柵ヲ繞ラシ中央ニ遺骨ヲ埋メ其上ニ墓碑ヲ東面ニ建テ玉垣等ヲ移転シタリ而シテ同年五月甘九日(陰五月朔日)及君ガ死体ノ漂着セシ当日ヲトシ墓地移転ノ祭典ヲ擧ケ以テ君ノ清骨ヲシテ安定ナラシメ謹ンテ敬意ヲ表シタリ其次第左ノ如シ
大正八年六月十八日 森 遷 記ス
現状の写真です。設置当時は山頂付近にあったようですが、採石の関係で一度中腹に降ろし、その後、遠干浜に移転しました。当時より山肌は削られています。
<平成21年5月1日 第13回田中河内介顕彰会総会資料 宮原 隆昌>
雲海寺について
洞口山如意輪院雲海寺は人皇第45代聖武天皇の代に天平年間(729~749)行基菩薩が風浪を避けるため、この地を訪れた際、不思議な霊端を見て、尊像如意輪観世音菩薩を刻み、建てられたと伝えられています。
その後、大同年間(806~810)弘法大師島四国88ヶ所開創のころに密教弘布の道場として定められ、法輪山妙観院成願寺(一説には元勝寺)と呼ばれました。
僧は増範法印が中興開基を行いましたが、年代は不詳です。
延享元年(1744)の頃に洞口山如意輪院雲海坊と呼ばれ、のちに寳歴8年(1758)ごろ、「洞口山如意輪院雲海寺」と改名されました。
雲海寺は京都、真言宗大覚寺派に所属し、戦後、高野山真言宗派に属しました。
その後、島四国88ヶ所霊場に所属し、貞享3年(1686)に規模、体制が盛んになり、
第84番の霊場となりました。